新老楼快悔 第135話 お笑いを追いかけて思うこと

新老楼快悔 第135話 お笑いを追いかけて思うこと


 家に籠もっていると、どうしても部屋に置かれたワープロの前に坐ってしまう。長年の習慣と言えばそれまでだが、いつの間にかワープロがまるで自分の分身になってしまったようで、いとしくさえ思えてくる。
 でもこの伴侶、主人とともに歳を重ねて、時々不具合を起こす。最初のころはすぐ買い換えたものだが、いまはワープロそのものの生産が中断され、頼るすべもない。そんな最中の今年の一月、突然、画面が消えた。
「おい、どうしたんだ」
 と声をかけても、相手は返事もしない。思い余ってワープロ古物商に電話して、古い機種を入手した。
 ところがこの機種の形式が、これまでのものと違い、最初の画面を出すのに苦労し、文字を打つ体制が整うまで丸一日も費やした。
 これはまずい。機械を休み休み使わなくてはと考え直し、札幌で開催中の大好きな落語会の日程を探してチケットを購入し、会場に足を運んだ。 会場は満員の盛況で、ご同慶のいたりだが、見渡して若い感じの人があまり見当たらない。定年退職した初老の男性か、暇を持て余している感じの年輩の女性ばかり。しかも開幕されると、芸人と観客の“間”がずれていて、絶対笑う場面のタイミングが微妙に食い違うのだ。それがおかしい。
 しかし中にはそのズレをネタにして笑わせる噺家もいて、観客も少しは緊張感を持つべき、と思った。もっと平たくいうと、噺家は観客をあまく見ていて、あまく見られた観衆がそうとも知らずに拍手している、北海道の客はまだまだ年期が足りないってことか。
 先日もそんな場面にぶつかり、高飛車に語って意気揚々引き上げる噺家がいて、この芸人の舞台はもう二度と来ないぞ、と決意を固めた。この噺家、いまや絶好期にあり、観衆を持ち上げたり、けなしたりして笑わせたが、その品格のなさに嫌気がさした。
 北海道でも落語会がひんぱんに開かれるようになったのは、いまは亡き三遊亭円楽が九州・福岡でやった落語まつりを北海道でも、と開設したことによる。だから何の努力もしていない噺家らが、いい加減な態度で演じるのなら、この会はやがて観衆に見放されるだろう。水をさすようだが、主催者側は緊張感を持って臨んでほしいと思うや切である。




2024年3月29日


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