新老楼快悔 第134話 講演をして感じたこと

新老楼快悔 第134話 講演をして感じたこと


 小原道城書道美術館の特別記念展「蝦夷地から北海道へ 時代の群像の書展」開催中の3月2日、「書が伝える時代の足音」の題で講演をさせていただいた。会場には歴史に名高い25人の書画43点が展示されており、その空間を埋めるように大勢の聴衆が訪れ、こちらが圧倒される思いだった。
 展示作品はまず箱館奉行堀利熈(ひろ)の書。外国奉行として来日中のプロシア使節と通商条約の交渉を重ね、何とかまとめた直後、腹を切って果てた。書は李白の詩集にあるもので、死の2年前の箱館在任中の作品。
 次はご存じ、松浦武四郎の書。蝦夷地を6回も訪れ、膨大な作品を残したのはよく知られる。作品「風餐露臥」は書にアイヌの人々の踊りの絵を織り込んだ独特なもの。武四郎の本を書く時、その道程を歩いたので、書を見ながら彼の和歌を思い返していた。
   おのづから おしえつにかなふ蝦夷人(えみしら)が 心に恥よ都かた人
「夷酋列像」を描いた松前藩家老、蛎崎波響の書も心に残った。寛政元年(1789)、クナシリ・目梨事件を鎮圧した後、アイヌ指導者ら12人に山丹服、蝦夷錦を着させて描いた絵は有名だが、初めて見る書もまた、独特の雰囲気を感じた。
 以下、明治維新前後の人物の書が並ぶ。箱館戦争を惹起させた蝦夷島臨時政権総裁の榎本武揚、同じく同政権陸軍奉行の大鳥圭介の書。開拓使本府が置かれてやってきた開拓使長官東久世通禧、判官島義勇の書、二代判官、岩村通俊の書など、いずれも歴史で知る人物ばかりだけに、身近な気持ちを抱かせてくれる。
 判官岩村がやってのけたのが有名な「御用火事」。札幌に立派な家が建つよう、家作料の資金を与えたのに、建つのは草葺きの家ばかり。怒って役人を動員して草葺き家に火を放った。開拓使の「細大日記」に「三月二六日休暇 山火事予防の為、官員一同出張、ガラス邸前辺りより脇本陣近傍本願寺より薄野辺りに之有る辛未(しんぴ)移住民小屋残らず焼き払う」とある。辛未とは明治四年を指す。だが岩村は黒田清隆に嫌われて首に。
 この後に根室から松本十郎が赴任し、アイヌ民族の衣服を着て采配を振るうが、彼もまた黒田と対立して去っていく。その他、副島種臣、北垣国道、佐藤昌介、そして「武士道」を書いた新渡戸稲造、さらに湯地定元、岡本監輔、渡辺千秋……などの書が並ぶ。
 その中の泉麟太郎は旧仙台藩角田領の家臣。移民団を率いて室蘭に入植するが土地が狭く、夕張川右岸のアノロ原野に入り開墾した指導者。このように北海道開拓は多くの敗北武士団によるものだ。そんな話をしながら、先人たちの歩んだ道のりを思い、襟を正さずにはいられない、とまとめた。
 私にとってもこの時間は、かけがえのない貴重な時間となった。




2024年3月22日


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