新老楼快悔 第117話 山田太一さん、そして川嶋康男さんまでも

新老楼快悔 第117話 山田太一さん、そして川嶋康男さんまでも


 山田太一さんが亡くなった。僅かな付き合いだったが、心に残る存在であり、“日本の財産”を失ったという思いが募るばかりだ。
 山田太一さんの存在を意識したのは、私が北海道文化放送に在籍していた時だから、もう四十数年前になる。倉本聰さん脚本のドラマ「北の国から」の放映が始まり、編成部長だった私は、毎週一回出る視聴率を倉本さんに電話で伝える役目を仰せつかっていた。
 その「北の国から」の同じ放送時間に難敵が現れた。それが山田太一さん脚本のドラマ「想い出づくり」であった。毎週視聴率が発表されるたびに数字が激しく競り合い、一喜一憂させられた。
 そんな大敵の山田さんだけに畏敬の念さえ抱いていたのだが、思ってもいなかった会合で同席することになる。20年ほど前、日本放送作家協会と韓国放送作家協会の交流会が韓国ソウルで開催され、市川森一会長から「北海道からもぜひ出席を」と誘われた。
 決められた日時にソウルの会場に赴くと、日韓両国から5、60人の作家たちが集まっており、その中に山田太一さんがいて、挨拶させていただいた。会議は3日間にわたり続けられ、最終日のお別れパーティーでも少し会話する機会を得た。
 おとなしい雰囲気で、発言する言葉も内容も、相手を包み込むような感じで、好印象を抱いた。その時、なにかのはずみで同じ年齢だと知り、より親密さを覚えた。
 以来、山田さんの作品を、より意識して見るようになった。「早春スケッチブック」も「ふぞろいの林檎たち」も、山田さんならではの作品といえた。一番感動したのは映画「少年時代」。同じ年代を生きた少年の目はしなやかで鋭く、肺腑を突かれた。
 最近、映画を見ていて感じるのは、作品に品格がなくなったということ。それは一言でいうなら、作家の資質によるものだ。大声をたてなくて、奇抜なことをしなくても、心に残る作品は作れる。それを教えてくれたのは山田太一さんだった……。
 この原稿を書いている最中に、ノンフィクション作家仲間の川嶋康男さんの訃報が飛び込んできた。最近、顔を合わす機会もないまま、気にかけていただけに愕然となった。
 あれは昭和55年暮れ、北海道ノンフィクション集団を設立した時、声をかけて以来の付き合いだから、もう40年余りも前になる。ただ1人30代だったので、仲間から「川嶋青年」と呼ばれた。
 一つのテーマを追い続ける執念を持った作家だった。何度もわが家を訪れ、原稿をチェックした思い出が残る。長い間、ありがとう。さようなら。安らかにお眠りください。




2023年12月15日


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