新老楼快悔 第116話 取材の旅って、いいものだ

新老楼快悔 第116話 取材の旅って、いいものだ


 晩秋の平日、知人の車に乗せてもらい、函館方面へ取材旅行に出かけた。これまでは高校時代の同級生の車だったが、妻君を亡くして近頃は足腰が弱くなったとかで、無理も言えない。そんなことで最近は遠出となると、列車化バスに頼らざるを得なかった。
 久しぶりの車での、しかも一泊旅行なので、取材スケジュールをぎっしり組み込んだ。まずK社から依頼の電波に連載中の橋のエッセーの取材、次もやはり電波がらみのH社のエッセーの取材、もう一つ、私が長年心に溜めてきた古文書に基づく現場探しである。
 早朝、迎えの車に乗り、函館へ向かう。運転者は私が道新文化センターで開講している教室の幹事役の60代男性。私からすれば息子に運転してもらっての旅行、という感じだ。
 少し雨模様だったが、晩秋の高速道路は快適だ。途中、休憩を取りながら四時間余りで函館着。約束の場である函館開発局へ。ここで担当者から的確な資料をもらい、高速道路の現場を取材した。ありがたいことに担当者らが複数台の車で案内してくれ、ポイントとなる場面で車を止めたり、高速道を降りて下から高架橋を見たり、至れり尽くせりの対応に、ただただ恐縮するばかり。
 木古内町に到着し、ここで別れて町役場へ。この町のサラキ岬沖は、咸臨丸が沈んだ海域で、それが縁で何度も取材に訪れたゆかりの地だ。町長はあいにく上京して不在だったが、副町長らの対応を受け、この町が今、新幹線の到着駅として、そして幹線道路の主要基地として脚光を浴び続けていることを実感した。
 函館に戻って湯の川の宿で一泊。仰天するほど驚いたのは外国人旅行客の数。見る人見る人が全て中国人か韓国人ばかり。夕食も、朝食も、宿側が時間を指定してくれたとはいえ、物凄い混雑ぶりで、最後まで日本人らしい客と出会うことがなかった。いや、日本人客はいるはずなのに、みんな中国人に見えたということかもしれない。
 日本の経済が外国人旅行者に支えられているという現実を垣間見る思いがした。
 翌日は朝から快晴。土方歳三にまつわる取材で五稜郭へ。ここは前年、依頼されて講演会を開いた場所だ。ここから神山町へ。土方歳三に絡む取材である。「無縁塚」に詣でた後、以前に入手した手書きの古地図を元に「歳三薮」を探す。だが町並みがすっかり変容している。それでも探して探してついに「歳三薮」を見つけた。建物と建物の間にわずかな空間があった。
 ノートに記載されている歳三の遺体が運ばれたところ、とされるその場に立ち、150年前の歳三の姿を想起するのだった。




2023年12月8日


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