新老楼快悔 第115話 旧ソ連のベレンコ中尉の死に思う

新老楼快悔 第115話 旧ソ連のベレンコ中尉の死に思う


 旧ソ連のミグ25で函館空港に強行着陸して話題を呼んだベレンコ元中尉が9月24日、亡くなった、という11月22日の新聞報道に、なぜ二ヶ月近くもその死が伝えられなかったのか、と疑念を覚えた。
 著名な人物の場合、こうした遅れは時としてあるが、なぜそうなったのか、との思いが募るかが、同時に、この報道で活躍した名カメラマンを思い浮かべていた。同カメラマンは筆者の元同僚で、つい先日(10月25日)84歳で亡くなった。絡み合うような2人の死に、不思議な感情を抱かずにいられなかった。
 事件は東西冷戦下の1976年(昭和51)9月6日午後一時過ぎに起こった。函館上空に識別不明機が現れた。北部航空警戒管制団は、千歳基地からスクランブル戦闘機二機を緊急発進させた。識別不明機は函館上空を大きく旋回して姿を消した後、再び現れた。
 凄まじい轟音に異常を察知した北海道新聞函館支社報道部の荏原清カメラマンは、とっさに屋上に駆け上がり、アンテナ越しに望遠レンズを用いてその機影を撮影した。後に新聞協会賞を受賞。
 識別不明機は函館空港に強行着陸し、滑走路東端を越えて草地に突っ込み、停まった。機内から男が現れ、拳銃を空に向けて一発、発射した後、地上に降り立ち、駆けつけた通訳と話した後、空港事務所に入った。
 男はビクトル・イワノビッチ・ベレンコソ連空軍中尉(29歳)と判明。取り調べに対して「ソ連には自由がない。アメリカに亡命したい」と述べた。ソ連政府は身柄と機体の引き渡しを要求したが、日本政府は亡命を認めて、三日後にベレンコを渡米させた。
 当時、ソ連と米国は覇権を争っており、ベレンコは米国の市民権を得て、米空軍顧問となり、ソ連の情報を米側に伝えた。
 ソ連機を撮影した荏原カメラマンとは旭川支社と札幌支社で同じ職場だったので、時折、この話になったが、「無我夢中でシャッターを切った」と話すだけで、とくに誇るわけでもなく、その生真面目な性格が伺えた。
 ベレンコが亡くなり、米紙ニューヨーク・タイムズはその死から二ヶ月遅れで報じ、ロシアの国営通信はその報道を引用して「裏切り者の死」として伝えた。
 騒動の立役者となったベレンコが亡くなった同じ年に、一方の立役者でもある荏原カメラマンが逝った。偶然とはいえ、複雑な思いが胸に溢れる。




2023年12月4日


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