新老楼快悔 第94話 相馬大作事件って知っていますか?

新老楼快悔 第94話 相馬大作事件って知っていますか?


 明治維新期に薩長藩閥政治を恨み、己が信ずるままの行動を起こし、その挙げ句、悲惨な運命を辿った男たちがたくさんいた。徳永真一郎著『明治叛臣伝』を読んでそんな思いを抱いていたら、知人から新刊本が送られてきた。下斗米哲明著『文政四年の激震〈相馬大作事件〉』(寿郎社)である。



 ついにやったか、と心の中で拍手を送りつつ、過ぎし日を思い浮かべていた。
 もう一〇年にもなるだろうか。下斗米さんから「相馬大作を調べたい」という話を聞かされた。そのころ私は少人数で毎月一回、「歴史談義の会」を開いていた。といってもそんな肩苦しいものではなく、一つのテーマを資料を提示しながらお話するといった程度のものだった。話が終わるとすぐ宴会になる。酒を肴に談義が膨らんでいく。
 そんな席で下斗米さんから出たのが「相馬大作事件」の話だった。相馬大作の本姓が下斗米なので、先祖調べなのかと思ったが、そうではないという。どんな事件なの? と問うと彼は、事件の経緯を述べだした。
 時は寛政から文政年間(一八世紀~一九世紀)、幕府の命で東西の蝦夷地の沿岸警備についたのが南部藩(東)と津軽藩(西)だった。この両藩には積年の確執があり、これにより新たな軋轢が生まれる。
 そんな中で松前奉行の元使用人で南部藩領内で練兵道場を開いていた相馬大作(本名・下斗米秀之進)が、参勤交代で途上の津軽藩主、津軽寧親を襲い暗殺を図るが、未遂に終わる。江戸に逃れるが、幕府役人に捕らわれて処刑、獄門となる。
 この事件は「赤穂浪士の再来」といわれ、「檜山騒動」として読み物芝居になり、人気を博す。今でも旧南部藩領の岩手、青森と秋田の一部地域では「忠臣」として語り継がれているが、旧津軽藩領の青森県西部では「殿の命を狙った大悪人」とされ、評価は真逆になったままという。
「そこでさまざまな資料を集めて事件の真相を突き止めたいのです」と下斗米さんは語った。
 以後、下斗米さんは何度も現地を訪れ、資料の収集に没頭し、長い時間をかけて書き上げたのがこの作品なのである。
「一生に一冊の本です。読んでください」
 電話口で語る言葉に、ついにやり遂げたという安堵感のようなものが漂っていた。
 一読して多くの資料が挿入されていて、その苦労が偲ばれた。本を書き上げるというのは想像以上に大変な仕事である。本当にご苦労さま、と心の中で拍手した。



2023年7月7日


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