新老楼快悔 第90話 土方歳三をめぐる文書を読む

新老楼快悔 第90話 土方歳三をめぐる文書を読む


 毎年6月25日に函館市で開かれる碧血祭が今年も近づいてきた。箱館戦争で亡くなった旧幕府軍兵士の霊を慰める催しで、全国各地から関係者が集まり、先祖の霊にぬかずく。
 箱館戦争の話になると決まって登場するのが土方歳三。明治2年(1869)5月11日、一本木関門で敵弾を受けて戦死したのだが、どの古文書を読んでもその最期がはっきりしない。馬で突破しようとして撃たれた説、戦闘中に流れ弾に当たって死んだ説、関門に守備して兵士を激励中、狙撃された説などさまざまなのだ。



 遺体がどこにあるのかも判然としない。同志らにより五稜郭内に運ばれたまでは、記録でも明らかなのだが、埋葬された場所がいまだにわからないのだ。
 随分前の話だが、箱館戦争を研究していた函館市の年配の男性から「私が書きためたものだが」とノートを手渡された。いずれ目を通そうと思っていたが、歳月が流れてその方も亡くなった。碧血祭が近づいてきたので、久々にそのノートをめくるうち、何度も手が止まった。歳三の遺体をめぐる話が飛び飛びに出てくるのだ。
 これによると箱館戦争から50年を経た大正6年(1916)、森町鷲ノ木の霊鷲院で全国各地から関係者が集まり、「函館五稜郭戦争戦没者霊位五十年供養」が催された。出席者らはその後、函館・神山村の無量庵(大円寺)に赴き、無縁塚で供養祭を催した。それに続く文面に、「本堂裏手の松の木の側にある仏像が土方歳三のものと確認した」と記されていた。以下文面の大要を掲げる。

  この時、改葬の話が出たが、歳三付きの馬方で、遺体を運んだ吉田松四郎が、
  何かに怯えたように頑強に拒んだので、「箱館五稜郭戦争戦没者霊位」の墓標だけ建てた。
  ところが松四郎は翌年、墓地を掘り起こし、遺骨と鎖かたびらを火葬して無縁塚に改めて埋葬した。
  松四郎はこの改葬を、歳三と生前約束したこと、と述べた。
  これは郷土史研究家の神山茂氏の証言による。同氏は生前、松四郎と何度も会ったが、
  頑固者で「俺から聞いたことは誰にも言うな」と固く念を押された、と記されていた。
  文章は無縁塚のその後に触れている。塚はほどなく最初の場所から
  西方500メートル先の窪地に移され、周囲に桐の木が植えられた。
  と、今度は北西800メートルも離れた歓喜橋の上流の低地に移され、
  次に旧亀田中道の松四郎宅の向かいの栗林の中へ。
  さらに大円寺本堂右側の地蔵堂の傍ら、そして現在地へ移された。

 読んでいて、なぜこんなに移動しなければならないのか、不思議な思いにかられた。しかも肝心の遺骨は現在、どこにあるのか判然としない。一般的には碧血碑に他の戦死者とともに葬られているというが、本当かどうか証明するものがない。
 逡巡の末に、地下の歳三には申し訳ないが、死してなお圧倒的な人気を誇る人物ゆえに、不明なままの方がむしろ神秘的だなどと、不遜なことまで考えていた。




2023年6月9日


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