新老楼快悔 第83話 加藤多一さん、さようなら

新老楼快悔 第83話 加藤多一さん、さようなら


 新聞の報道で、童話作家として知られる加藤多一さんが亡くなったのを知った。2年ほど前、札幌市内のある会合でばったり会い、立ち話をした。コロナ禍もあって、あまりにも久しぶりの出会いに、「お互いに歳を取ったねぇ」という話だけで終わった。
 加藤さんと出会ったのは昭和51年春、道内各地を回って初めての札幌勤務になった時だから、47年も前になる。市役所に勤務しながら童話を書いている文化人がいると聞き、訪ねたのが最初だった。
 私自身、新聞記者をしながら、暇を見つけて伝承や祭りを追いかけており、親近感を抱いていたのかもしれない。会って役人らしくない庶民的な印象の方で、年齢が近いせいもあっていっぺんに胸襟を開く仲になった。
「会わせたい人がいる」と言われて会ったのが北海道教育大教授の伊藤隆一さん。以来、なにかと都合をつけては、安酒場の片隅でビールを飲みかわす間柄になった。
 だれもそれほど酒に強い方ではないが、談論風発の時間に酔いしれた。そのうち加藤さんが言いだして会の名を「一の会」とした。三人の名前に「一」の字がついているから、というのが理由だった。
 話題は政治から経済、文化芸術から犯罪、そして世相まで何でもあり。でも、飲食が終わったら論議はそこまで。後はひかない、というのが暗黙のうちに出来上がった。
 新聞記者の私としては、思わずメモしたくなるビッグニュースに繋がるような話もあって、それを避けねばならないのはいささか辛かった。しかし約束ごととして守ったので、信頼関係はより増したように思う。
 三人の共通した願いは「平和」に尽きた。昭和8、9、10年生まれの我らは、少年期に戦争と平和をまるごと体験した。戦争には行かなかったが、近所の青年が「勝ってくるぞと勇ましく」という歌声に送られて出征していく姿を何度も見た。あれだけはもう繰り返したくない、という思いが強かった。
 加藤さんの話には、そんな幼いころのことがよく出てきた。デビュー作品の「白いエプロン白いヤギ」も、名作といわれた「ふぶきだ 走れ」も、そして日本児童者協会賞の「草原―ぼくと子っこ牛の大地―」も、平和を貫く精神が脈打っていた。
 加藤多一さん! 先に逝った伊藤さんとともに、あちらでも仲良く激論をしてください。いずれ私も向かいますからね。合掌。



2023年4月14日


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