新老楼快悔 第57話 へぇ、それも仏教用語なの?

新老楼快悔 第57話 へぇ、それも仏教用語なの?


 先日、仲間たちと雑談中、私たちの暮らしの中に、仏教用語がさまざまな形で溶け込んでいる、という話になった。何故? と思う方がおられようが、例えば次の文章をご覧いただきたい。

  うちの旦那は子煩悩なうえ、世話好きで、誰彼となくわが家に呼んで、御馳走する。お世辞の一つも言われると 図に乗ってすっかり有頂天になる。家庭は火の車だっていうのに。油断も隙もない。こんなこと金輪際、止めてほしい。

 この中に仏教に関わりのある用語が8つも含まれているとは。手元にある『仏教辞典』によると、まず「旦那」とは、もともと梵語(ぼんご)のダーナからきたもので、施主、檀家という意味。最初は僧侶だけが使っていたが、いつしか相手を敬う言葉になり、現在は妻が夫を指して旦那様になったという。
「子煩悩」も仏教用語で、煩悩とは「心身を乱し、悩ます一切の妄念」を指し、悩みや苦痛の種をいう。子供をネコ可愛がりすることへの戒めというべきか。
 次の「御馳走」の語源には驚く。法華経の中の「三界火宅」という説話に、「子供らが我先にと馳走して、火の燃えている家を出た」とある。台所の守護神の韋駄天が足早に駆け寄り、御馳走の材料を集めて回った。だから客をもてなすために駆け回るので、御馳走というのだそう。
 一方、家計が苦しいのを指して「火の車」という。仏教でいう地獄にある火の車で、地獄に落ちた罪深き亡者たちを乗せて苦しめるのだそう。そんな車は真っ平ご免だ。
「図に乗って」もやはり仏教用語。仏教の声明(盆歌)は難しく、ことにハ調からト調へ転換するのを失敗すると調子が狂う。図とはこの転調を示す図表のことで、うまくいくと、図に乗った、と言って喜んだそう。それがいつしか、付け上がる、に転化した。
「有頂天」は仏教でいう有漏(うろ)の世界の、一番高いところを指す言葉。ここへ昇るのは容易ではないが、人間は何かを成すと、天にも昇る心地になる。「油断」は涅槃経に出てくるインドの暴君の話が元。油の入った鉢を持たせ、こぼしたら命を絶つと脅したのが始まりとか。
「金輪際いたしません」と謝るその金輪際も、仏教の世界観から来たもの。人間社会と三輪を隔てる際(きわ)を指す。人間の住む大地の下に風輪、水輪、金輪があるという概念に基づくもので、この際(きわ)を金輪際と呼ぶのだという。
 普段何気なく使っている言葉の中に、こんなに仏教用語が混じっているなんて。驚いてしまいますね。





2022年9月30日


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