新老楼快悔 第44話 龍馬記念館から届いた冊子

新老楼快悔 第44話 龍馬記念館から届いた冊子


 先日、高知市の高知県立坂本龍馬記念館から、冊子が2冊届いた。開館30周年記念の「龍馬と北の大地」展と「龍馬脱藩160年維新へつながる土佐の道」展に伴い発刊したもので、1冊は展覧会の内容を歴史的見地からまとめたもの、もう1冊は『龍馬と北の大地』と題するA4判凡そ百頁に及ぶもので、表紙の表裏にかけて松浦武四郎の描く北海道地図とアイヌ民族の姿絵が配置されている。



『龍馬、蝦夷地を開きたく』(札幌・寿郎社)という本を出したのが2004年だからもう18年になる。多くの古文書を読み、龍馬が北海道に渡ろうとしていた事実を中心に据えて書いただけに、やっと陽の目を見たという気持ちになった。



 龍馬が最初に蝦夷地へ向かったのは元治元年(1864)、途中、江戸の勝海舟の元に立ち寄った時のことが、海舟の日記に書かれている。だがこの航海の途中、京都・池田屋で尊皇派志士が新選組に襲撃されて13人が死に、その中に同志である勝海舟の神戸海軍操練所塾生、望月亀弥太が含まれていた。それを知った龍馬は、海舟に迷惑がかかると判断し、蝦夷地行きを中断した。
 龍馬の予想通り、海舟は江戸に召還され、海軍操練所は閉鎖になる。龍馬は長崎に出て亀山社中を設け、蝦夷地行きを目指すが、大洲藩から借りたいろは丸が紀州藩の明光丸に衝突されて沈没するなど3度も不運が重なりついに果たせず、慶応3年(1867)11月15日、京都・近江屋で中岡慎太郎とともに、何者かに襲われ惨殺される。
 これにより龍馬の蝦夷地開拓の夢はついえたが、海援隊隊士だった龍馬の甥(姉千鶴の嫁ぎ先高松順蔵の長男)である高松太郎(後の小野淳輔、坂本直)は維新後、箱館府知事になった清水谷公考に従い、箱館府に勤務する。後に故郷に戻り、朝廷の命で坂本龍馬家を継ぐ。
 坂本家の本家を継いだのが直の弟の高松南海男改め坂本直寛で、龍馬の遺志を継ぎ、農民団体の北光社を組織して、北海道ノツケウシ原野(現在の北見市)に入植、開墾に励む。後に浦臼の聖園農場に移る。ちなみに直寛の孫が山岳画家で名高い坂本直行である。



 話を戻して、直亡き後、妻の留は長男とともに直寛を頼って浦臼に移住している。
 坂本直寛はじめ本家一族の墓は札幌市中央区の円山墓地に、また坂本留と長男の墓は浦臼町札的内の共同墓地にある。
 龍馬の息吹きが溢れる北海道。冊子はその事実をより明らかにしたうえ、松浦武四郎との関わりまで触れている。龍馬の「蝦夷地を開きたく」という思いがこの1冊でより深まったと感じ入っている。企画展は6月25日まで。



2022年6月20日


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