老楼快悔 第108話 好きなことが「才能」とは

老楼快悔 第108話 好きなことが「才能」とは


将棋の谷川浩司九段が、藤井聡太二冠の幼児の頃の話として、負けたら盤上で泣き、勝つまで続けたと述べたうえ、「好きなことを続ける、やめろといってもやめない。それが才能なのです」と語る言葉に、思わず、そうかと膝を打った。
才能は誰にもあるし、それを伸ばして活躍している人は大勢いる。だが現実には、自分の気持ちとは裏腹に、好きでもない仕事をしている人も多かろう。
私の父は土建会社を経営していた。長男だったので、後継者として育てられた。だが父には申し訳ないが、この仕事は絶対に嫌だった。高校3年になった春、殴られるのを覚悟で父に伝えた。
「俺、父さんの後は継げない。新聞記者になりたい」
吐き出すように一気に言った。父は、そうか、と答えてから「探訪記者になれ」と言い、そのまま部屋を出ていった。緊張が解けて、腰が抜けた。父が亡くなったのはそれから間もない昭和26年(1951)6月。同時に父の会社は潰れた。今年で70年になる。
亡き父親に対峙するまでして得た道は、果てしなく厳しいものだった。なんとか高校を卒業した後、大学の通信教育を受けながら難行苦行の果て、やっと北海道新聞に採用された。帯広、釧路、広尾、三笠、室蘭、旭川、札幌と歩き、途中、北海道文化放送に出向し、再び本社に戻った。定年退職後は大学の講師を3つもさせてもらいながら、いまなおノンフィクション作品を書いている。
「好きなこと」が「才能」というなら、私は、父を裏切って「才能」を得たということになる。そう考えると、父には申し訳ないことをしたという感情の方が深くなる。
少年期にこんな経緯があってか、息子や娘には幼い頃から「大きくなったら好きなことをするように」と話してきた。好きなことが職業になったら、これほど幸せなことはない。例え苦しみもがく事態になったとて、悔いはないはずだ。
息子は幼い頃から音楽に親しみ、いまは東京で音楽関係の仕事をしている。娘も外遊などして後、結婚して、同じように東京にいる。それぞれに2人の子どもを持つ。この孫たちにも機会があるごとに「好きな道を歩むよう」と言ってきた。いまは全員20代。大学を終えてそれぞれの道を歩んでいる。
今日も文章を綴っている。最近は年齢のせいか、時折、人生の分岐点になったと思える父親と対決した“あの日”を思い起こす。





 
2021年6月18日


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