老楼快悔 第101話 「海峡に女の唄が」の撮影現場で

老楼快悔 第101話 「海峡に女の唄が」の撮影現場で


 長い人生の中で、何が一番驚いたかと問われたら、自作がテレビドラマになった時、と反射的に答えられる。わけもわからないままに出演者、撮影スタッフがどっとやって来て、波が引くように去っていく……。いまも頭の中に幻影のように漂っている。
『流氷の海に女工節が聴える』(新潮社)を出版したのは昭和55年(1980)。ほどなくテレビ朝日から「ドラマ化したい」と伝えてきた。UHBに勤務していた時だったので、競争相手のテレビ局から放映されることに後ろめたさを覚えたが、とくに問題にもならずに過ぎた。
 撮影グループがいっせいに根室に入った。現地のカニ缶詰工場を国後島の工場に見立てて撮影するのだ。原作者もぜひ顔を出してほしいといわれ、休日を利用して夜行列車で根室へ赴いた。台本を読んで思わず唸った。原作が見事な会話体に変わっているではないか。
 そこで森川時久監督、主演女優の紺野美沙子さんを紹介された。森川監督は「若者たち」「次郎物語」「わが青春のとき」などを手掛けた名演出家、紺野さんはデビューしたばかりで慶応大学在学中。素敵なお嬢さん、という印象だった。
 すぐにカニ缶工場の撮影になった。この時期はまだ根室ではタラバガニの水揚げ時期でなく、札幌のカニ料理店に頼んで、本物のカニを移送してもらい、撮影に間に合わせたという。
 女工に扮した女中さんたちが、台本通りにセリフを並べる。それを耳にして不思議な気持ちになった。自分の書いた作品がいま、役者たちの言動によって表現されている。そう思っただけで、これでよかったのかという反省やら悔悟やらが胸の中に渦巻き、いたたまれなくなった。だが撮影はそんな私の思いなど知らぬげに進んでいく。



 手元に女工に扮した女優さんたちの写真がある。紺野さんは中心にした五人で、一番端が女工頭に扮した市原悦子さんだ。市原さんとは挨拶した記憶がないから、あるいは東京の撮影所で撮影したのかもしれない。
 撮影が一区切りした後に撮った写真は、森川監督と賀原夏子さんと私が並んだもの。賀原さんの役は紺野さん扮する女工の四十年後の老婆役。大女優らしい雰囲気を漂わせていた。記念に書いたサインに「(昭和)58・7・1」とあるから、出版から3年後の撮影とわかる。



 ほかに恋人役の田中健、それに長門裕之やハナ肇などの演技派俳優が出演したこのドラマは「海峡に女の唄が聞こえる」と題して2時間枠で放送された。私にとっては忘れられない思い出となった。





 
2021年4月19日


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