老楼快悔 第79話 勝海舟と渋田利右衛門

老楼快悔 第79話 勝海舟と渋田利右衛門


 勝海舟の『氷川清話』を読んでいくと、意外な文面に出くわす。海舟が若いころ、箱館から仕事で江戸へ来ていた渋田利右衛門という商人に、大変な世話になったという話が出ているのだ。
 時は弘化、嘉永年間(1845~1854)ごろ、海舟が二十代から三十代にかけて。海舟の家格は四十俵、小普請組だから、ひどく貧しい暮らしだったらしい。妻を娶り、赤坂田町に居を移し、長女夢子を授かり、そんな中で海舟は、日蘭辞書『ヅーフハルマ』五十八巻の筆写する日々。暇さえあれば古書店へ出かけ、書物を広げていた。それを書店の主人は好ましく見ていた。
 利右衛門は江戸にやって来るたびに、書店に顔を出し、書物を大量に買い込んでいた。そこで主人から海舟の話を聞いた利右衛門は、書店で待ち受けていて海舟に話しかける。『氷川清話』にはこう書かれている。省略しながら記す。

 渋田がいうには、同じ好みの道だから、この後ご交際を願いたい。私もお屋敷へうかがいますから、あなたも旅宿へおいでくださいといって、無理に引っぱって行った。二、三日すると渋田は自分で俺の家へやってきた。そのころのおれの貧乏といったら非常なもので、畳といえば破れたのが三枚ばかししかないし、天井といえばみんな薪にしてたいてしまって、板一枚も残っていなかった。
昼になったから、おれがそばをおごったら、それを快く食って、いよいよ帰りがけになって懐から二百両の金を出して、これはわずかだが、書物でも買ってくれ、といった。あまりのことに返事もしないで見ていたら、渋田は、いやそんなにご遠慮なさるな。これであなたが珍しい書物を買ってお読みになり、そのあと私に送ってくだされば何より結構だ、といって強いて置いて帰ってしまった。


 以後、二人は文通を続け、江戸で何度も会う仲になる。海舟が長崎海軍伝習所に入所する時の利右衛門の喜びようは大変なもので、自分が死んでも頼りになる人を、といって人物を紹介している。
 海舟はこの恩情を忘れず、利右衛門が亡くなった後、箱館奉行所を通じて何かと気を配っている。海舟の人間形成に影響を与えた利右衛門という人物が、箱館に存在したのを思うと、海舟が艦長として太平洋を横断した咸臨丸が、箱館に近い木古内町サラキ岬沖に沈んでいるのを考え合わせて、何か不思議な巡り合わせを感じる。










 
2020年11月13日


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