老楼快悔 第70話 敬老の日の会長さん

老楼快悔 第70話 敬老の日の会長さん


「敬老の日」は朝から電話がかかってくる。息子も娘も結婚して東京に住んでいるので、普段は静かだが、この日ばかりは賑やかだ。
 早々と掛かってくるのは息子宅の孫娘たち。二人とも二十代。
「おばあちゃん、敬老の日おめでとう。元気ですか」
「はい、はい。元気よ。ありがとうね」
 おじいちゃんに代わり、同じような言葉を交わす。
「おぉ、ありがとう。そちらはみんな元気かい」
 こんな調子で、代わる代わる電話口で話す。最後に嫁が出て、妻と長々と話をして終了する。と、次は娘宅から。こちらは夫が出て、次が今春、大学院を出た孫と、近く大学を出る孫の兄弟が相次いで電話口で挨拶する。娘は締めの最後だ。
 長年生きてきたせいか、電話口の声を聞いただけで、家内の様子がすぐわかる。
 たがいの健康を確かめあって電話が切れる。と、マンションの信号が鳴った。町内会の会長さんと女性役員がお祝いにやって来たのだ。エレベーターを降りて玄関口に訪れた会長さんが、
「本日はおめでとうございます。八十五歳のお祝いです」
 と言って記念品を差し出した。深々と頭を下げて受け取る。会長さんが訊ねる。
「あのう、合田さんって……、作家の……」
「はい」
「やはり、そうでしたか」
 実は同じ町内会なのに、“都会砂漠”とでもいうのだろうか。一度もお会いしていない者同士、初対面なのである。
「あなたの書いた本を読んでいますよ」
「そうでしたか」と答え、思わず手元の新刊本を開き、下手なサインを書いて差し上げた。会長さんは驚いたり、喜んだり。
「こんど、町内会でお話していただきますか」
 女性役員と笑顔で語り合っているのを見て、うなずくとともに、自分がいかに近所付き合いが足りないかを実感させられた。そして都会砂漠などというけれど、それを作っているのは自分自身ではないか、と深く反省した。








 
2020年9月4日


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