老楼快悔 第43話 「少年の船」と少女

老楼快悔 第43話 「少年の船」と少女


 北海道文化放送(UHB)の事業部長をしていた時だから、もう30数年も前。「UHB少年の船」という企画を立てた。小学5年生から中学2年生まで500人を船に乗せ、グアム、サイパンを巡ろうという、当時としては夢のような事業だった。
 募集を始めると同時に、部員とともに駆けずり回り、道教育委員会の協力で同行職員(教師役)を25人集めたうえ、補助の大学生25人、それに医師、看護師の医療団を組織し、事前講習などを繰り返して万全の体制を整えた。
 平成元年十二月二十九日、船は超満員の子どもたちを乗せて苫小牧港を出航した。ところがいきなり時化が襲い、子どもたちはバタバタと倒れ、船底のデッキを急遽、病室にする事態になった。だが時化が去るとみんな元気になり、スタッフを安堵させた。
 着いたその日は元旦。事前に参加者の親御さんに、子どもたちの初めての外国旅行なので、必ず年賀状を書いてほしい、と頼み込み、暮れのうちにグアムの郵便局留めで送ってもらった。それが全員の分、届いていたのだ。
 砂場に座り込んだ子どもたちに、一人一人名前を呼び、年賀状を手渡した。子どもたちは思いがけない便りに、声を上げた。読みだしてすぐ、誰もが涙を浮かべながら、顔をくしゃくしゃにして笑っている。ああ、よかった、心が躍る思いだった。
 子どもたちは6、7人のグルーブで一つの部屋に入る。見ず知らずなのにすぐ仲良くなり、おしゃべりしている。中学2年のクミコさんは、部屋に顔を出した私に「兄が大学受験で頑張っているの」と話をした。「そう。お兄さん、合格するといいね」と言うと、にっこり笑った。
 わが家を離れて往復十二日間もの長い外国旅行――。子どもたちはそれぞれに、目に見えない大きな宝物を背負って帰国した、そんな感じがした。別れる時、たがいのシャツにサインする姿が目立った。私のシャツも子どもたちの文字で真っ黒になった。
 数日して何人かの子どもたちから感謝の便りが届いた。その中にクミコさんからの便りも含まれていた。クミコさんはその後、高校、大学と進み、結婚していまは東京に住んでいる。船で別れてから一度も会っていないのに、毎年毎年、年賀状が届き、動向が手に取るようにわかるのだ。
「お元気でいらっしゃいますか。こちらは長男が高二、次男が中一.食費が大変です」
 今年も賀状を読みながら、いまは立派なお母さんになった少女の顔を思い浮かべている。













 
2020年1月10日


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