老楼快悔 第21話 あの声が、いまも耳に

老楼快悔 第21話 あの声が、いまも耳に


「記者さんか、ムショの事件、知ってるか」
 ドスの聞いた声が、電話から聞こえた。ここは新聞社の釧路支社報道部。男は「会って一杯飲みたいな」とせせら笑う口調で言い、がちゃん、と電話を切った。
 新聞社には時折、奇妙な電話がかかってくる。だがこの電話には何か嫌な予感がした。数日後、妙な噂を耳にした。刑務所近くのタバコ店が荒らされ、近くに受刑者が履く草履に似た足跡が残っていたというもの。なんだろう、これは。
 釧路刑務所に赴くと、監視所が新たに二ヵ所設けられ、各房ののぞき窓に新しい格子戸がはめられていた。所長に質すと、監視体制をより強めるため、という。
 近くにあるタバコ店を探して尋ねると、
「えぇ、玄関が破られ、タバコ三百五十箱ほどが盗まれました。犯人は複数の受刑者だそうです。でも盗品は戻ってきたし、新聞には書かないでください」
 と重い口調で話した。
 近所を尋ね歩くうち、中年の男性が意外な話をしだした。
「盗難の日、隣の家の梯子が盗まれて。その梯子が刑務所の塀の側に倒れていたんです」
 刑務所にとって返し、所長に尋ねると、所長は答えず、
「最近、タバコの投げ入れが多いので、監視を強めたのです」
 と言い、口をつぐんだ。
 受刑者が刑務所から脱出してタバコ店を襲い、大量のタバコを盗み、梯子を使って刑務所へ逃げ戻った――。だが、刑務所は事の重大さを恐れ、公表を避けていると判断できた。事件を捜査した警察署も、知らぬ顔だ。
 所内の石炭ガラを回収している作業員に会い、内部の詳しい地図を教えてもらい、一気に書き上げた。翌朝、紙面に次の大見出しで掲載された。
 受刑者が集団で脱走/タバコ屋襲い舞い戻る
 この「刑務所脱走舞い戻り事件」は大スクープとなり、この段階で警察署は初めて事件の内容を公表した。その夜、記者仲間と酒を飲んだ。「あれがもし殺人で、犯人が刑務所に逃げ込んだとしたら、ゾッとする」などと話し合った。あれから半世紀、あの時のドスのきいた電話の声を、いまも思い出す。





 
2019年5月27日


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