新老楼快悔 第137話 ここは“サムライ士別”なのだ

新老楼快悔 第137話 ここは“サムライ士別”なのだ


前回、“大忙しの旅”を書いたが、この旅でもう一つ、心に残ったのは、士別市が「侍・しべつ」を名乗って、ある種の風格さえ漂わせていたことだ。
繁華街の中央に位置する「まちなか交流プラザ侍・しべつ」はその象徴的な存在で、玄関先に置かれた販売機にまで「侍・しべつ」の文字が見える。「サムライ・シベツ」。新聞記者時代によく用いた表現を思い出した。



同じ音の標津町と混同しないよう、士別は「サムライ・シベツ」、標津は「ヒョウツ」と読んだ。だからその表記を見ただけで、遠いあの頃に引き戻される気がした。
実は四〇年も前、この町に住む菅原太吉という人物の生涯を本に書き上げた。書名は『あばれ熊太吉』、サブタイトルに「士別屯田兵村誓誠組」とつけた。出版社は河出書房新社、一九八三年刊。三五〇頁。私としては初の長編作品である。
主人公の菅原太吉は宮城県金成村出身。明治三二年、最後の屯田兵としてこの地に入植した。曲がったことが大嫌いで、喧嘩早い。酒は一滴も飲まないが、親分肌で面倒見がよく、後に村会議員、道会議員、町長、農会長などを勤めた。凶作打倒を目指す全国農会長会議の話合いが、あまりにくだらないのに激怒し、壇上に駆け上がり演題のビラを引きちぎった経歴を持つ。
そんな痛快きわまる男が開いた街にふさわしく、士別市は自ら「サムライ士別」と名乗っているのだ。「地名を説明するたびに武士の士です」と言わねばならないので、最初から「武士、侍」を表に出した、というのが理由のようだ。
プラザの店内を回って、「サムライ」という言葉を冠した商品がいくつも並んでいるのに、唸った。一番目立つのが「米侍士」。袋の表に剣を振るう武士の姿、そばに「米作り一筋 侍士別の上士別 米侍士」と記されているではないか。いやぁ、これは凄い。
この日の講演会の演題は『箱館戦争と榎本武揚』。一時間半の話を終えて舞台を降りたら、数人の観衆が側に近寄ってきた。その中に菅原太吉の末裔と名乗る人がいて、「講演で曾祖父の話が出るかもしれないから、聴いてこいといわれたので」と述べた。
「そうでしたか」と答え、太吉のことに触れずじまいだったことを後悔した。講演のテーマは榎本なので、と弁明しかけて、はっとなった。榎本もまた蝦夷地と呼ばれた北海道へ、命を賭けて渡った。太吉ら屯田兵もまた、同じ道を辿ったではないか。
「ご家族の方にくれぐれもよろしくお伝えください」と述べながら、サムライの血が脈々と流れているのを意識し、思わず頭を垂れた。




2024年4月12日


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