老楼快悔 第63話 背中に三つも穴ある地蔵

老楼快悔 第63話 背中に三つも穴ある地蔵


 八雲町熊石の無量寺の境内に、地蔵が鎮座している。この地蔵、背中に穴が三つ空いている。寛保元年(1741)、松前大島の大噴火とそれによる大津波で犠牲になった人々の霊を慰めるもので、穴は遺体をヤスで引っかけて収容したのを表しているという。
 その年7月16日、大島で大噴火が起こった。それから三日後の19日夜明け近く、松前、江差など道南の海岸線一帯に大津波が襲った。津波は寝ていた人々を家ごと奪い去った。津波は繰り返して海岸線を襲い、あっという間にすべてを呑み込んだ。
 津波が引いて、危うく助かった人々は、はっと我に返り呆然となった。そして泥土に埋まったり、海面に浮き沈みする遺体を涙ながらに集めた。だが足元が悪くて思うようにいかず、仕方なくヤスで遺体を引っかけて引き寄せたりした。作業は何日もかかって続けられ、海辺は遺体で山をなした。
 被害者は1467人にのぼった。「寛保の大津波」と呼ばれる。
 人々はこの悲しみを後世に伝えようと、背中に穴を三つ空けた地蔵を造り、無量寺に祭ったという。
 熊石の隣町の乙部町に、この大津波にからんで不思議な話が伝えられている。乙部の小高い山に地蔵が一体、立っていた。人々は、毎日幸せな暮らしができるのはこの地蔵のお陰と感謝し、ことあるごとに山に登り、地蔵の周辺を清掃した。
 その日も盆が近いというのでみんなで山に登り、地蔵の周辺の草をむしるなどした。きれいになったので、ぞろぞろ山道を下って帰宅した一人がふと、振り返ってみると、地蔵がこちらを向いて手招きしている。人々は「地蔵様のことだから」と言いながら、誘い合って山道を上がって地蔵の前に集まった。
 と、突然、穏やかな海が大きく膨らみ、大津波となって集落をあっという間に呑み込んだ。津波が引けた後、集落は跡形もなくなっていた。人々は驚き、
「地蔵様がわしらを助けてくれた」
と言い、抱き合って喜んだという。
 以来、この山は、地蔵山と書いて“じんじょ山”と呼ばれるようになった。じんじょ山に登ると、乙部の町並みが見える。この町にだけ伝わる話を聞きながら、民衆が語り伝えた「民話の重み」を感じとった。












 
2020年7月13日


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