老楼快悔 第33話 高橋お伝の処刑

老楼快悔 第33話 高橋お伝の処刑


 “毒婦お伝”の異名をとった高橋お伝が、東京府市ヶ谷監獄の刑場で処刑された時、検視役を務めたのが樺戸集治監(監獄)2代目典獄の安村治孝と知って、思わず唸った。
 安村は長州藩出身。小柄ながら豪胆な人柄で、西南戦争に小隊長として参戦し、西郷隆盛と組み打ちしたといわれる。
 明治18(1885)年、初代典獄月形潔の後任として着任するなり、樺戸と空知集治監の受刑者を使役して、上川道路の開削工事を進め、短期間で完成させた。その陰で多くの死者を出すことになる。
 お伝が首を討たれたのは、それより6年前の明治12年1月31日だ。お伝は上野国の農家の娘。結婚した相手の男性が重い病気にかかり、夫婦で逃げるように姉の嫁ぎ先の横浜に移った。生活は苦しく、お伝は体を売って治療費を稼ぐが、悲しいかな夫は死去。
 お伝は何人かの男性を渡り歩くうち、遊び人と市太郎と知り合い同棲。やがて茶の売買に手を出して失敗する。
 そこへ姉の夫の吉蔵が姿を現した。お伝は吉蔵を浅草蔵前の旅人宿に誘い、借金を頼むが応じない。お伝は眠っている吉蔵の喉を剃刀で切って殺し、財布から金を奪った。
 お伝は捕らえられ、犯行を自供したが、裁判では吉蔵は自死であると供述を翻した。毒婦と噂されたのはこの頃だ。逮捕から2年後、否認のまま死刑が言い渡され、その日のうちに処刑場へ引き出された。
 白木綿で目隠しされたお伝は、「申し上げることがございます」と言い、身悶えしながら、市太郎の名を口にした。首斬り役の山田浅右衛門がたじろぎ、検視役を見た。すると検視役の安村は、ならぬ、と首を振った。
 浅右衛門が一太刀浴びせたが、手元が狂って斬りそこねた。再び斬り下ろしたが失敗して後頭部を斬った。お伝は「ひぇーっ」と悲鳴を上げながら、いとしい男の名を呼んだ。かたわらにいた獄史がしゃにむに押し倒し、浅右衛門がようやくねじ斬った。
 記録に残る最後の斬首刑の模様だが、安村の気性の激しさが見て取れる。
 ところで七代典獄の黒沢廸の先代は水戸藩士で、大老井伊直弼を襲撃した「桜田門外の変」のメンバーの一人という。歴史を彩る人物がこうした形で道内に実在していたことに、改めて、驚く。










 
2019年9月16日


老楼快悔トップページ
柏艪舎トップページ