老楼快悔 第75話 ハワイにて

老楼快悔 第75話 ハワイにて


 ハワイを訪ねるたびに、太平洋戦争の開戦となったパールハーバーの存在を意識する。ハワイ諸島オアフ島の真珠湾、太平洋戦争勃発の地である。いまから七十数年前の昭和16(1941)年12月8日、日本の海軍機動部隊が密かに接近し、航空母艦から飛び立った爆撃機、電撃機、戦闘機が、湾内に停泊していたアメリカ太平洋艦隊を攻撃したのだ。
 ラジオから軍艦マーチが流れ、かくかくたる戦果を報じる大本営の発表に、心を高鳴らせた遙か遠い日。その時に抱いた不思議な感情を、どう説明したらいいのだろうか。
 真珠湾攻撃に近い日を選んで、オアフ島から船で対岸のフォード島のアリゾナ記念館を訪ねた。日本軍による攻撃で撃沈された戦艦アリゾナ号が、多くの遺体とともに海底に横たわっていて、その艦上に浮き橋のようにアリゾナ号と交差する形で記念館が建っていた。中央にアメリカ国旗がひらめいている。そばに腐食した大きな鉄の輪が見えた。アリゾナ号のもので、いまも油が漏れ出て、海面を汚すという。
 あの日、現地はまだ12月7日の夜明け前だった。アメリカ艦の整備兵という元軍人が資料を見せながら説明する。
「突然、日本軍の航空機は、あの北方の空から弧を描いてこの湾の上空に達して、激しく攻撃したのです。巨大な戦艦が、巡洋艦が赤い炎を上げている。凄まじい光景でした。応戦もできないまま、やられ放題やられたのです」
 元軍人は、私を日本人と知って、悔しさをにじませながら語った。
 アリゾナ記念館には大勢のアメリカ人が集まり、祈りを続けていた。思わず立ち止まり、瞑目した。その姿に、年配の女性が不審げな笑みを見せたのが心に残った。
 フラッグ・ポールの基部にあるブロンズの碑に、次のような文面が刻まれていた。

 本日より米戦艦アリゾナ号は1941年12月7日朝同様、誇りを持って我々祖国の国旗を掲げるよう。すべての将兵は我々の意図する事を十分できるものと確信する。

 続いて米海軍提督名と、建立日が刻まれていた。
 真っ青な海が広がっていた。静かなたたずまいである。日本軍はここを襲い、アメリカの太平洋艦隊を殲滅した。そして3年8カ月後、広島、長崎への原爆投下により、敗戦を迎えたのだ。
 少年の日を思い浮かべながら、報復合戦により両国国民が抱くに至った憎悪の深さを実感せずにはいられなかった。











 
2020年10月16日


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