老楼快悔 第72話 ハーバーの暗殺の現場で

老楼快悔 第72話 ハーバーの暗殺の現場で


 函館市谷地頭の函館公園裏通りの脇に「ハーバー遭難記念碑」がある。この碑、発足したばかりの明治新政府を震え上がらせた大事件の碑だなど、想像もつくまい。ここに立つと、「異人斬り」が北海道のこの地にまで及んでいたことに、おののく。
 事件が起こったのは明治7年8月11日夕、ドイツ代弁領事ルードヴィッヒ・ハーバー(31)がこの道を散策中、背後から若い男が襲いかかった。男は両手を合わせて命乞いするハーバーの頭を斬りつけ、倒れたところをめちゃめちゃに刺して、絶命させた。
 男はその足で函館邏卒本営(警察署)に自首して出た。秋田県貫属士族の田崎秀親(23)といい、「皇国を汚す外国人を一人でも誅し、志を表したかった」と述べた。
 開拓使函館支庁は田崎を函館裁判所検事局に送り、取り調べる一方、政府に事件を急報した。驚いた政府は高官を現地に派遣するなど対応に追われた。なぜこれほど慌てたのかというと、新政府が発足した直後に起きた「神戸事件」や「堺事件」で屈辱的な外交を迫られ、責任者を切腹させて事態を鎮めた苦い経緯による。
 予想通り、函館に駐在する外国領事らが裁判所に押しかけ、その一方で、函館港内にはイギリス軍艦をはじめ外国艦十数隻が入港し、騒然となった。町の人々は「こんどこそ外国と戦いになる」といって恐れたという。
 結局、9月26日、田崎は「斬罪」を宣告され、一時間後に各国領事が居並ぶ中、斬首された。これによりわが国は辛うじて危機を脱したのだった。
 事件の調書を読んでいくと、意外な事実を知らされる。田崎は犯行前日、遊廓に赴き、女性を相手に酒を飲み、宿泊。翌朝、旅館へ戻り、午後三時ごろ、再び遊廓を訪れて酒を飲み、烏帽子を床の間に置き、祝詞を上げた。相手の女性は「おかしくて笑った」と供述しているが、あるいは狂人を装ったのかもしれない。
 田崎は「殺すのは外国人ならだれでもよかった」と述べた。実際に犯行前、一人の外国人を見かけながら、「屈強な男」と感じて襲撃を辞めている。その直後にやってきたのがハーバーだった。ちなみに「屈強な男」はブラキストンと伝えられるから、何とも歴史というものは、どこでどう転ぶかわからない。
 ハーバーは中米で勤務中、マラリア病にかかり、療養も兼ねて函館に着任したのが二月。再発して寝込むことが多く、この日は久々に避暑にきていた友人と町を散策し、帰りはどちらが先に着くか別々の道を歩きだした。この遊び心が命取りになろうとは。













 
2020年9月18日


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