老楼快悔 第71話 ここにこんな「像」が…

老楼快悔 第71話 ここにこんな「像」が…


 旅先で思いがけない像に出会い、驚かされることがある。函館の松風町の中央分離帯の一隅に「月光仮面」像が立っていて、思わず立ちどまった。白い装束をまとい、右手で拳銃を前方に突きつけたポーズだが、なぜここにと思い、ははぁと膝を叩いた。月光仮面の原作者川内康範さんは函館市出身。生まれ育った町に像があって、何の不思議もない。
「月光仮面」が登場したのは昭和33年(1958)、国産初の連続テレビ映画として放送された。良い子たちが危機に陥った時、白装束の若者が颯爽と現れ、鮮やかに救い出す。ヒーローアクションの元祖ともいわれ、多くの子どもたちの心を躍らせたものだ。
 像は昭和48年(1973)に、はこだてグリーンプラザが造成されたのを記念して、翌年、川内さん本人から寄贈されたもの。カラーアニメ版の原型が基という。
 肝を潰すほど驚いたのは網走市の博物館 網走監獄内の高い天井に設置された“脱獄囚”の像。ふんどし一つの裸姿。右手が天窓にかかっていて、一瞬、おっ、と声を上げた。この建物、旧監獄を使用しているだけに、より迫力を感じる。
 像のモデルは「五寸釘寅吉」と思われそうだが、違う。昭和戦中から戦後にかけて“脱獄魔”と恐れられた白鳥由栄だ。白鳥は看守の態度に不満を抱き、青森、秋田、網走監獄(刑務所)で、想像を絶する方法で4度も脱出に成功した。
 網走の脱獄は昭和19年(1944)8月26日夜。それまで長い間かけて食事に出されるみそ汁を何度も何度も手錠、足かせのナットに垂らして腐食させ、歯で少しずつ噛み減らして切断し、嵐の夜を選んで脱獄した。逮捕されて札幌刑務所に収監されるが、昭和22年(1947)3月31日、監房内の便器の鉄のタガをはずして鋸を作り、床板を切りはずして脱獄した。懲役20年の判決を受けて、白鳥の希望する東京・府中刑務所に移監された後は、人が変わったように模範囚になったという。受刑者にも人権があるとして、脱獄という手段で訴えた希有な存在といわれた。
 木古内町の海岸沿いに立つ「木古内の坊」像は、知る人ぞ知る親孝行息子の輪廻話の主人公だ。明治の初め(1870年代)、ここに友吉という目の不自由な少年が年老いた父親と弟とおともに住んでいた。少年は毎日、つけ木を背負い、遠くまで売りに出かけ、僅かな商いの中から土産を求めて帰り、父親を喜ばせた。この孝行息子の話は広がり、人々は「木古内の坊」と呼んで可愛がった。(つけ木は火を付ける時に用いる薄い木)
 坊はやがて亡くなる。その後、大阪のある長者の家に赤子が生まれるが、どうしたことか両手を握ったまま開こうとしない。医者にも見放され困惑していると、旅の占い師が「この子は木古内の坊の生まれ変わりだ。坊の墓の土を手に塗れば開く」と告げた。
 藁をもすだる思いの長者は、北海道の木古内を調べて人を遣わせ、坊の墓の土を持ち帰り、赤子の手に塗ると、不思議にも開いた。以来、孝行息子の生まれ変わりの話は長くこの地に伝えられた。町内には「孝行餅」という名物菓子もある。像は数年前、坊が歩いた浜辺近くに像が立てられた。













 
2020年9月11日


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