老楼快悔 第5話『ゴー、コッチャコー』

老楼快悔 第5話『ゴー、コッチャコー』


 歳の瀬が迫ると、年賀欠礼のはがきが舞い込む。差し出し人が知らない女性名だと、はっ、となる。その一枚もそうだった。
「夫、〇〇が5月11日、85歳で永眠いたしました。平素のご芳情を厚くお礼申し上げます」
あのゴー君が亡くなった。中学を卒業してから一度も会わずじまいだったが、後に高校の事務職員になり、教職員労働組合の重要ポストに就き、退職後も故郷の上砂川町にほど近い滝川市に住んでいる、と聞いていた。
大東亜戦争まっただなか、小学四年生の小柄なゴー君の面影が蘇った。担任のS先生は秋田出身。秋田弁で語る歴史の時間は、楽しさを超えて痛快だった。
「おーっ、ゴー、コッチャコー」
と先生が招く。最前列のゴー君がすっと立ち上がり、先生の指示で竹棒を手に持つ。
「さぁ、こいっ」
ゴー君が椅子に座ったままの先生に打ちかかる。それを先生が、手にした板切れで、はっしと受け止める。
「まだだ。ゴー、もう一丁っ」
ゴー君が再び竹棒で打ちかかる。パシッ。「うむっ、もっと、こいっ」と先生。パシッ。「うーむ、もう一丁っ」。教室内はわいわい大騒ぎだ。
「よーす、ゴー、もう席さ戻れ。みんな、これがすんげん(信玄)、けんすん(謙信)の有名な川中島の一騎討ちだ。これを三太刀七太刀という。わかったか」
学童たちはけらけら笑いながら、
「はーい。先生、もっとやってぇ」
「なぬっ、わかんねぇか。ゴー、コッチャコー、もう一回だっ」
ゴー君は笑顔で立ち上がる。「さぁ、こいっ」と叫ぶ先生。打ちかかるゴー君。教室の熱気は最高潮に。
振り返って、高齢になった筆者も含めて、同級生たちに、いまだに歴史好きが多いのは、S先生の“実演入り初等教育”の賜物なのかもしれない、などと思いながら、徹底抗戦をいさぎよく貫いたゴー君の姿を、懐かしく思い浮かべている。合掌。


 
2018年11月30日


老楼快悔トップページ
柏艪舎トップページ